「ひょっとしたら…」の時に知っておきたい、乳がんの初期症状・予防方法
乳がんは2~3年での再発が多く、10年以上経っても再発の可能性があるため完全に安心はできません。常に不安な乳がん再発や転移の症状、治療法についてまとめました。
手術を受けた乳房や周辺のリンパ節に発症するものが「局所再発」、乳房から離れた骨や肺などに発症するものを「遠隔転移」と呼びます。
初期治療で乳がんを手術しても、目に見えない小さながん細胞はリンパや血液の流れで全身に広がってしまいます。また、潜んでいたがん細胞の種は、数年経ってから発症することがあるのです。
乳がんの再発率は約3割で手術後2~3年以内の再発が多いのですが、10年~20年経って再発することもあります。こうした進行の遅いがんもあるので、乳がんは5年を過ぎても経過観察が重要です。
乳がんは初期段階でがん細胞の種が全身に散ってしまう可能性があるため、小さなしこりの段階で薬物や放射線による再発予防を行っています。
局所再発は皮膚の赤みやしこりなどで気づく人もいますが、自覚症状が出る前に検査で発見されることもあります。
乳がんは骨、肝臓、肺などに転移するケースが多くみられます。骨への転移は患部に少しの痛みを感じる人から激痛のある人までさまざまで、骨の痛みにより外科を受診するケースもあるそう。肺への転移では咳や息苦しさで気づくことがあります。遠隔転移の場合は自覚症状がまったくない人もいるので注意が必要です。
たとえ乳房を全摘出しても周辺の皮膚や胸壁・リンパ節へ転移する可能性もあるので、しこりや湿疹などの症状が現れたら要注意。日ごろのセルフチェックや定期検査は必ず行いましょう。
乳がんの局所再発の場合、乳房切除後の放射線照射、乳房温存術と放射線治療後を行った後に乳房切除など、全身治療を検討します。
最初に見つかったがんが1期であれば転移の可能性は低いのですが、3期以降の場合、転移の可能性も。遠隔転移した場合は、患者のQOL(生活の質)に配慮し、乳がんの進行を遅らせることがメインの治療です。手術や放射線の局地的治療では効果がないので、副作用の少ないホルモン療法、そして抗がん剤が中心となります。
患者や家族も、治療の可能性が低いという現実を受け入れなければなりません。しかし、がんの進行を遅らせて、再発や転移を乗り越えて前向きに生きる患者もたくさんいます。まずは予防につとめてがんに負けない身体をつくることからはじめましょう。
がんの再発から転移に移行することは患者や家族にとって非常に厳しい状況になります。しかし、希望を捨てずに前向きに生きようとするなら、乳がんの再発や転移を予防したいと願っているでしょう。
がんの原因は免疫力の低下と関連があると言われています。免疫力を強化することでがんの進行を遅らせ、再発を防ぐことにつながります。免疫力をアップするには、食事やストレス、睡眠などの生活習慣が重要です。
乳がんのリスクは多くの女性が抱えており、もし初期症状や兆候を感じたら、迷わず検診を受けるようにしましょう。定期的な検査をすることで、早期発見を心がけることも大切です。
そして、日ごろのセルフケアも心がけなくてはいけません。特に、30代を過ぎると罹患率が飛躍的に向上してしまうため、注意が必要です。たとえば、がんに効く食べ物(外部サイト)を意識的に摂るようにするなど、普段のちょっとした工夫を心掛けましょう。
匿名(女性)
ちょうど1年前化学療法を終え、手術を終え落ち着いたので経済的なこともあり仕事に復帰したところ術後1年検診で リンパ節への転移が確認されました。
乳がんとわかったときよりも動揺はなかったでしたが、もう1回したら治療は終わるのか、一生付き合っていくのか、 果たして子供が成人するまで生きられるのか色々と考えはじめています。
匿名(女性)
それから2日後、不安を覚えて精密検査を受けに行きました。
結果は乳がん。
直径1センチちょっとぐらいで、先生からも「これくらいならリンパ節への転移もほとんど心配ありませんよ」と言われたほどですが、手術してみたらリンパ節への転移もあり、最初、分かったのとは別のところにもがんができていたので、乳房の4分の1切除と、右脇のリンパ節切除となりました。
後は6週間の放射線療法、3週間に1度の抗がん剤治療を4回と、薬を変えて(1週間に1度の抗がん剤治療を3回して1回休み)×3と、その年いっぱいはハードな治療が続きました。
匿名(女性)
私の胸を見てこれはと医師は絶句です。
その時に私はがんと悟りました。
すでにステージⅢb。
CTの画像は私の左胸いっぱいにがんはひろがり胸骨をも巻き込んでいました。
幸いリンパ節転移だけで多臓器への転移は見られませんでした。
この状態で手術できることをラッキーと思いなさいと言われたことが今も脳裏にやきついています。
がんが大きかった為皮膚移植までしました。
術後は毎週の抗がん剤治療を1年間。
4週に1度の抗がん剤を半年つづけました。
ホルモン受容体が陽性だったこともありホルモン療法も受けました。
2年再発しなかったらリスクが低くなるよ。
胸のポートも抜こうかといわれていた今年6月に骨転移が発見されました。
匿名(女性)
腫瘍を取ったからもう大丈夫と安心していたらリンパ節転移、ホルモン感受性陽性の為、抗がん剤投与、ホルモン療法の治療と言われ私は何年生きれるの?とショックは大きかった。
3月から違うタイプの抗がん剤があと4回ありました。
途中で治療を止めようと弱音が出てしまう。
7回目入院にて抗がん剤終了。
ほっとし10月からホルモン療法副作用で今閉経しているので内服薬のみ始まれば注射を打つ予定です。
終えて出来る治療は後で後悔しない為にも辛いけどした方が良いと医療は日々進歩しているので5年後10年後再発した時今よりいい治療があると前向きにがんと向き合っています。
匿名(女性)
不安は沢山ありましたが、1%でも生存率をあげよう、どんなことをしても、再発・転移を防ぎたいと思ったので、治療に対してはとても前向きでした。
リンパ節に転移していたので、手術後(温存)抗がん剤、放射線療法が終了して、現在ホルモン療法中。
放射線療法が終わり、ひと段落した矢先、ずっとそばで私を支えてくれた父が他界・・・ホルモン療法のせいか、気分もうつになったり、イライラが倍増・・このままでは、自分も子供にも良くないので心療内科を受診する予定です。
この先、自分もどうなるわかりませんが、最後まで私の心配をしてくれた父の為にも、子供達の為にも、前向きに明るく生活していこうと思います。
匿名(女性)
私は今日乳がんといわれ、さらにわきに転移もありました。
リンパ節だと、あっというまにひろまるのではないか、とても不安です。
私は、離婚して3人の小学生を育てているからです。
なにより、子供が成人に近いあと10年生きたい!10年元気でいたい!しかし、だめなのではとおもうと、とてもとても不安です。
匿名(女性)
初発から7年と半年経ち、その間、2回の再発・転移があり、現在通院で化学療法をしています。
乳がんになってしまったものは仕方がない、と結構開き直れて、盲腸を切るような感覚で手術や治療を行ってきました。
当時、インターネットがここまで普及する前だったので、少ない情報の中で乳ガン患者会との出会いがあり、この出会いが、私を救ってくれたと言っても過言ではありませんでした。
勿論、家族や友人の支えも大きいのですが、何と言っても、同じ体験をした仲間と一緒に話す時、何でも理解してもらえそうな安心感がありました。
現在、3度目の治療を行っていますが、さすがに今回はもう、薬が効かなくなるまで薬と付き合っていく覚悟が出来ました。
治療をしながらいつもの日常を送ることが私の一つの目標です!
Nさん(女性)
手術台の上で最初にドクターから話しかけられた言葉が「リンパ節に転移していたからそっちも取りましたよ」でした。
意識が朦朧としている中で聞いたので最初はぼうっとしていて受け止めきれていなかったのですが、しばらくして覚醒してくると沸々と実感が沸き「転移って・・・。
術前の説明ではリンパ節に転移していないって言っていたのに・・・。
もう完治は無理ということですか?」とドクターについ詰め寄ってしまいました。
それまで自分の感情を吐露することは殆どありませんでしたが、この時はがんの告知を受けた時より精神的にダメージを受けすぐに現実を受け止められなかったんですね。
入院は8日間におよびましたが、水曜日に退院して翌週の月曜から出社しましたので一般的な病気より早いかもしれません。
リンパに転移していない温存術だけの場合は手術は2時間半くらい、入院も4~5日程度で済み会社も1週間程度休めばいいので家を預かる専業主婦はもちろん仕事への心配もそれほどしなくていいので最近の医学の進歩に驚くばかりです。
桜林 芙美さん(女性)
そんな時、乳頭が痛み、ただれるように…。
完全母乳の授乳後だから、デリケートになったのかなと思っていました。
ところがあっという間にしこりが現れ、どんどん拡大し乳がんを疑い、乳腺外科クリニックを受診しました。
その日のうちに、ほぼ乳がんが確定。
検査後、若年性乳がん・ステージ2b・リンパ節転移あり・HER2タイプと判りました。
可知 康子さん(女性)
今は保険適応となっていますが、2008年当初はセンチネル生検が保険適応(2010年4月より適応)ではなく、臨床研究として実施して10万円かかりました。
10万円支払ってセンチネル生検を行ったからこそ転移していることがわかり、辛かったですが適切な治療を行えました。
あの時お金を払わなければ私は今頃死んでいたかもしれません。
もう少し保険制度の整備を急いでほしいと思います。
とがわ のりこさん(女性)
一番大きな腫瘍は3センチ近くありました。
まず、半年間の化学療法(FEC+TXT)でがんを小さくし、その後に手術で乳房全摘出・リンパ郭清をしました。
術後はホルモン療法がスタートしました。
術後も、転移・再発に神経質になり、『私いつ死ぬの?どうなるの?』
どれだけ眠れない夜を数えたことか…。
鬱々とした日が続きました。
岡村麻未さん(女性)
2006年末、さらに追い討ちをかけるようにリンパ節の精密検査でリンパへの転移を知りました。
抗がん剤治療に切り替えるように担当医に言われ、目の前が真っ暗に。
その頃はメディカルエステに加え、スキンケアの化粧品も立ち上げて毎日のように美について語っていたのです。
容貌を大きく変える抗がん剤治療をそう簡単に決意できるものではありません。
答えを出せないまま時間だけが過ぎ、担当医からは「仕事と命、どちらが大事ですか?」と詰問される事態に。
乳房を左右、全部摘出する、温存手術する、抗ガン剤治療を受ける。
これらの選択肢の中に解答を見出せないまま1人で苦しんでいたように思います。
松澤章子さん(女性)
実は数ヶ月前から左胸に違和感があったのですが、生理前の胸の張りだと思っていたのです。
それより2年以上前の人間ドックで"しこりらしきもの"を指摘されて精密検査を受けて最終的に問題なしと診断されていたからでしょうね。
今度もそうだろうと思い込んで検診を先送りにしてしまって。
今になって思えば、まめにセルフチェックをしていれば、もっと早くにしこりに気づけたかもしれません。
何かがおかしいなと思ったとき、すぐに診察を受けるべきだったと思います。
匿名(女性)
放射線治療や抗がん剤治療の副作用で、日々吐き気、だるさ、脱毛との戦いでした。
更にうつ状態にもなってしまいました。
いつも側にいてくれる主人は、そんな状態の私に何も言わず‟大丈夫”と励ましてくれました。
子供たちも笑顔で励ましてくれました。
そのような時にがんに立ち向かっている同室の患者に、「弱気になるな。
自分の目標を持て。
」と強い言葉で話され、少し前を見ることができるようになり勇気をいただきました。
3カ月の入院生活を終え退院した時は、20㎏以上体重が落ちていました。
あとで主人に聞かされましたが、その時点では1年は持たないかもしれない状態だったそうです。
まみさん(女性)
ここに来るまでも、もしかしたら乳がんは間違いかも、と思っていました。
でも、リンパ節に転移が見つかった、ということは間違いなく乳がんだった、ということなので。
しかもステージは当初予想されていた2Aではなく2Bということになります。
そして入院期間も延びる。
リンパ節転移が無く入院期間が短く済めば行きたいライブがありました。
小さいことかもしれませんが、彼氏と行く予定で楽しみにしていたので残念で。
残念で。
ライブには行けない。
乳がんであることも確定した。
ステージも2Bだ。
pumiyさん(女性)
長らく私を苦しめた原発のしこり、小さくなって、もう、がん細胞ではなく、石灰化かもしれない(病理検査待ち)けど、きっと取り除いたから、なんか身体もフゥ〜っと気が抜けた感じ。
肝臓に転移してしまった乳がんステージ4から、34回の抗がん剤を経て、ホルモン剤に変わり、原発取り除き手術までが終わって、とりあえずひと段落。
ホルモン剤の投与は続けますが、病理検査の結果を見て今後の治療はまた検討予定です。
引用元:脱力感でいっぱいです | 第2子妊娠中に2度目の乳癌。ステージ0と1で両側全摘後に肝転移からのスタート。誕生した息子はダウンちゃん!人生いろいろ!
ぷぅみぃさん(女性)
しこりの大きさは5cm。
なぜ気がつかなかったのかと言えば、小さい時からしこりがあり、授乳してる時もずっとあって、生理前になると張って…
それが当たり前だと思っていたから。
きっと何もなければ、乳がんのステージは2b 又は3a 位だっただろう…
手術をしてないので、わからないんだけど。
もう既に骨に転移があった。
これで、いとも簡単にステージが4になっちゃった。
末期ガンだって。
もう聞き慣れたけど
こんな思いして欲しくないから、検診受けて欲しい
何もなければ、それでいいんだから。
人生設計狂う前に、絶対やったほうがいい(´-┃
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